Interview

寄り添って
一緒に悲しみ喜ぶことで
演技の幅も広がる。

ケアマネージャーとして週4日で働きながら、俳優として20年を超えるキャリアを持つ眞野さん。
映像作品をメインに活動しており、2025年には連続テレビ小説「あんぱん」にも出演を果たした。介護職でのキャリアアップを続けながら、俳優としても着実に活動の幅を広げており、二足のわらじで唯一無二のキャリアを歩んでいる。

◆◆◆

眞野さんが所属するのは、東京都北区に拠点を置くさくら総合介護相談センター。
居宅介護支援や訪問介護、福祉用具貸与に加え、介護保険ではカバーできない日常の困りごとに対応する「便利屋」事業も手がけ、「総合的に利用者様を守っていく」をモットーに、多角的な福祉サービスを展開しています。
週2日からの勤務や在宅ワークにも対応し、副業もOK。
スタッフ一人ひとりが自分らしく輝ける環境づくりを大切にしています。

「介護がなかったら芝居も続けられていなかったと思うし、
二つあってよかったんだと思っています」

さくら総合介護相談センターで働きながら、俳優としても活動する眞野沙耶花さん。
その言葉には、一切の迷いがなかった。

介護職は生半可な気持ちでできる仕事ではない。
ましてや、介護の仕事をしながら別の仕事を続けるのは、一般的に考えれば簡単なことではないだろう。

それでも眞野さんは、二足のわらじで歩み続けてきた。

そこには「大変だけど頑張っている」という悲壮感はない。
むしろ、介護職と俳優業がそれぞれの活動に好影響を与えていると、眞野さんは胸を張る。

生活の安定だけではない。
介護職でのキャリアアップによる自信、人の人生に触れることで広がる表現の幅。
介護があるからこそ、俳優としても成長できる。

眞野さんの歩みは、二つの仕事が生み出す好循環の物語だ――。

眞野 沙耶花さんの1日のタイムスケジュール 仕事と俳優の両立

人と人が触れ合うからこそ生まれる、介護の魅力。

俳優として20年以上のキャリアを持つ眞野さんだが、現在はケアマネージャーとしても週4日ほど働いている。

利用者さんとコミュニケーションを取り、どんなサービスが必要なのかを考え、各事業所との連絡調整を行う。
いわば、介護現場の司令塔のような存在である。

「対人援助職なので、人とお話しする機会がすごく多いんです。
すごく学びのある仕事で、利用者さんのお家に行ったりして密に接することが多いので、利用者さんとそのご家族の背景などを知ることがあった時には、自分自身の生活を振り返るきっかけにもなりますね」

眞野さんが介護の世界に足を踏み入れたのは、2011年のことだった。
きっかけは、東日本大震災。

当時の眞野さんは、俳優として生きていくことを夢見ながら、アルバイトで生計を立てる日々を送っていた。
しかし、あの大震災が、人生を見つめ直す転機になったという。

「震災があった時に、何か人の役に立ちたいという気持ちが生まれて。
今までは自分の夢のためだけに、と思っていたんですけど、それがちょっと変わったんです。
『私、何やってるんだろう?』って。人の役に立って生きているんだろうか、ということを考えるようになりました」

姉が看護師、母親がヘルパー。福祉はもともと身近な世界だった。

障がい者の外出支援から始め、やがて高齢者介護へ。
ヘルパーの資格を取り、訪問介護、特別養護老人ホームと経験を重ねていった。

働き始めてみると、それまで抱いていた介護へのイメージは、いい意味で覆された。

「介護のイメージって、3Kって言われたりするじゃないですか。
でも私の職場では手洗いやうがい、除菌を徹底していて、むしろ介護の仕事を始める前よりも健康になった気がします」

「スタッフ同士にも仲間意識が生まれて、お互いに声を掛け合うことも多くて。今まで経験してきた他の仕事よりも、みんなが気遣いながら働いていたんです」

働くほどに、介護という仕事の奥深さに気づいていった。
人と人が触れ合うからこそ生まれる、かけがえのない瞬間がある。

「利用者さんが『話を聞いてくれてありがとう』とか、『あなたが来てくれて助かった』とか言ってくださることもあって。
ほんのささいなことでも感謝してもらえるというのは、すごくありがたいなと思うし、たとえよくわからない会話をされたとしても、その人にとっては意味のあることなので。
それを発見した時に『このことで喜んでたんだ』とか『これが原因で困っていたんだな』という発見があるんです。働いていても、すごく楽しくて充実感がありますね」

インタビュー写真

ワハハ本舗の舞台が、人生を変えた。

話は、介護の仕事を始めるより前に遡る。

眞野さんが俳優を志したのは、幼いころだった。
両親が映画好きだったこともあり、自然と映像の世界に惹かれていった。

「『ギルバート・グレイプ』という、レオナルド・ディカプリオとジョニー・デップが出ている作品があって、すごく感動したのが俳優を目指したきっかけですね。
映画のリアルさ、現実と同じものが映し出されているのを見て、その世界に入りたいなと思ったんです」

学生時代は演劇部に入り、表現することの楽しさを知った。

ただ、俳優の世界はオファーがないと成り立たない。
役者として食べていけるのはほんのひと握りで、安定とは程遠い世界だ。
「やりたい」という気持ちはあっても、最初の一歩がなかなか踏み出せなかった。

転機が訪れたのは、社会人になってからのこと。

九州にある動物のテーマパークで働いていたころ、
何の気なしに観に行った「ワハハ本舗」の舞台に、度肝を抜かれた。

「普段は動物のショーを支える裏方として働いていた中で、ワハハ本舗の舞台を観たとき、次元がまったく違いました。
同じショーでも、『見せている』というより『見て!』という感じ。
そのパワフルさに感動して、自分がパフォーマンスをする側に行きたいという気持ちが、どうしても抑えられなくなってしまったんです」

数日経っても、あの日の衝撃が頭から離れなかった。

「動物のテーマパークの仕事は好きだから続けられていたんですが、ワハハ本舗のショーを見てからはそっちに意識が行ってしまい、頭が回らなくなってしまって。
『どんな世界なのか見てみたい』と思って、退職を決意したんです」

ショーを支える側ではなく、ショーに出る側へ。

時代はまだインターネットもない頃。情報もない、知り合いもいない。
それでも眞野さんの決意は揺らがなかった。
九州から大阪へ拠点を移し、そして東京へ。

夢に向かって、一歩を踏み出した。

インタビュー写真

輝ける場所を求めて。

東京に出てからは、俳優活動を続けながら介護の仕事にも精力的に取り組んだ。
しかし、両立は決して簡単ではなかった。

大事なオーディションが入っても、休みが取れない。
撮影のスケジュールと勤務が重なってしまう。
でも、やりがいのある介護の仕事は続けたい――。

理想と現実の間で揺れる日々が続いた。
そんなとき、今の職場と出会った。

「週2日から働けて、副業がOKで、在宅ワークもできる。
『芝居をやりながらでも大丈夫ですよ』と言っていただけたのが決め手で、入職しました」

環境が整ったことで、二つの仕事に全力で向き合えるようになった。
大好きな俳優業に打ち込みながら、介護の仕事にもより一層精を出すことができた。

資格を一つずつ取得し、キャリアを積み重ねていく。
やがてケアマネージャーへの転身も果たした。

その過程で得たものは、資格だけではなかった。
自分自身への確かな自信だ。

「好きなことをやりながら介護職で確実にキャリアを上げていくことができたというのは、介護の仕事を続けようという意欲にもなったし、スキルは上がっているんだなと実感できました。
だからこそ続けようと思えたし、今も続けようと思っています」

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20年かけて届いた場所。

介護の仕事が生活の基盤となり、俳優業にも集中できるようになったころ、眞野さんのもとに大きなチャンスが舞い込んだ。

2025年放映のNHK連続テレビ小説「あんぱん」。

アンパンマンの作者・やなせたかしさんの人生を描いたこの作品で、眞野さんは昭和初期の国防婦人会の一員を演じることになった。

「本当に、やっていてよかったなと思いました。報われるというか。
今もなおですけど、下積みの中できちんとしたお仕事が巡ってくることがあるんだって。巡ってきても、ピックアップしてもらえるかどうかはわからない世界なので」

撮影に向けて、時代背景や歴史を丹念に調べ、自分なりの役づくりを重ねた。
その姿は全国のお茶の間にしっかりと届き、多くの反響を呼んだ。

「コツコツやっていれば絶対届くと思っているんです。華々しくデビューして売れていく人ももちろんいますけど、私はそうじゃなかった。
でも、続けていれば絶対届く。知り合いから『何度も見たよ』『たくさん映ってたね』って連絡をもらったり、親がものすごく喜んでくれたりして。
『あんぱん』に出演できた時は、やっと届いたなという気持ちでした」

20年という歳月。
その長い道のりを振り返り、眞野さんは静かに、しかし力強く語った。

「自分が今まで忙しくしながらもきちんと仕事で勤めていたことは間違いじゃなかったんだなと思いました。
自分のやってきたことや考え方、やり方は間違いじゃなかった。励まされた感じがしました」

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介護が俳優に、俳優が介護に。

介護と俳優。
眞野さんが着実にキャリアを重ねてきたこの二つの仕事は、別々のようでいて、実は深いところでつながっている。

「介護の仕事って人生を見せてもらっているというか。
介護の仕事をしていると生活に密着するので、その人の悲しみや苦しみを直で見ることができる。
寄り添って一緒に悲しむことができたり、喜ぶことができる。
そのイメージが役作りに生きているんじゃないかなと思います」

その逆もまた然り。俳優として培った力は、介護の現場でも発揮されている。

他のスタッフが対応に困るような場面でも、持ち前の表情管理能力と柔らかな雰囲気で、自然と利用者さんの心をほぐしていく。
さくら総合介護相談センター部門長の小島さんは、眞野さんの働きぶりをこう評する。

「優しいのはもちろん、俳優をやっているからなのか、表情もすごく柔らかいので、どんな利用者さんにもするっと溶け込んでいくというか。
他のスタッフがうまく関われないような方でも、ふわーっと彼女のペースになっていたりしますね」

まったく別々の道を歩んでいるようで、しっかりと歩みを進めていたからこそ、重なり合う部分が生まれる。
そしてそれが、かけがえのない強みになる。
二つの仕事を続ける意味を、眞野さんはこう語る。

「一つのことに絞っていないからこそ、視野を広げて物事を判断したり、捉えたりすることができる。
介護では体力的にも感情的にもしんどいなと思うことがあるけど、『これは経験として自分にプラスになることだな』という視点に変えることができる。視野が広がるんじゃないかなと思います」

介護があるから、俳優を続けられる。
俳優をやっているから、介護の仕事にも深みが出る。
二つの仕事が互いに高め合い、眞野沙耶花という一人の人間を形作っている。

「介護がなかったら芝居も続けられていなかったと思うし、二つあってよかったんだと思っています」

その言葉には、20年の歳月を経てたどり着いた、確かな実感がこもっていた。

インタビュー写真

介護×俳優でオンリーワンの価値を生み出す。

with NOTE|編集後記

「介護がなかったら芝居も続けられていなかった」

その言葉を聞いたとき、この取材の核心に触れた気がした。

眞野さんの物語は、単に「介護をしながら夢を追いかける」という話ではない。

介護と俳優、二つの仕事が互いに影響し合い、高め合っている。
介護の現場で出会う人々の人生が役づくりの糧になり、俳優として培った「相手の心を読む力」が利用者さんとのコミュニケーションに生きる。
まさに、理想的なデュアルキャリアの歩み方だった。

キャリアアップへの姿勢も印象的だった。
ヘルパーから介護福祉士、そして介護支援専門員へ。
資格を一つずつ取得していく過程で、眞野さんは自分自身への自信を獲得していった。
その自信が、20年という長い道のりを歩き続ける力になった。

二つの仕事を持つことは、決して楽ではない。
それでも「二つあってよかった」と胸を張って言える。
それぞれのフィールドで輝き、オンリーワンな価値を提供できる。

仕事に対する姿勢、キャリアや人生に対する価値観。
眞野さんの言葉ににじむ生きざまは、挑戦する人々の背中を優しく後押しするものだった。

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