INTRODUCTION
重度障害があっても、自分の力で働いていこうと前を向く人たちがいます。これまでの人生や、今感じている「仕事」への率直な思い、そしてデジタル技術の活用がどのように彼らの未来を拓くのか。インタビューを通じて、一人ひとりの「働く」の姿に迫ります。
今回のインタビューの主役は、生まれながらに指定難病である脊髄性筋萎縮症(身体障害1種1級)と向き合いながら、就労への可能性を探る白石涼さんです。
※本取材は、白石さんの言葉をお母様に時折通訳していただきながら実施しました。
親から離れて、自分の力で。
それが僕の最初の「働く」への願いでした。
― 今日はありがとうございます。まずは白石さんがどのような学生時代を送られていたのか聞かせてもらえますか?
白石さん:もともと僕は小学校・中学校・高校と、特別支援学校は選ばずに普通校に通っていました。母の支えもありながら「学校には行くものだ」と思って、小中9年間に数日休んだだけで、高校3年間は皆勤賞でしたね。高校の修学旅行は沖縄。入学したときから校長先生が「絶対に一緒に行こうね」と言ってくれ、無事にみんなと同じ飛行機に乗せてもらえて、良い思い出になりました。飛行機も初めての経験でしたし、行き帰りにJALとANA、両方に乗れましたしね。
― 皆勤賞なんてすごいです。普通校に通うことを選んだからこそ経験できたことも多かったのですね。高校を卒業されてからはどうされたんですか?
白石さん:高校を卒業する時に、区からは「就労を考えてください」と言われたんです。けれど、勧めてもらった就労支援施設は「親も付き添わなければならない」というものばかりで。僕もそうですし、母も「親ありきの就労では意味がない」と強く思っていたので、たとえば親がずっと付き添うことが前提のパソコン教室を勧めていただいても、それはどこか違うんじゃないかなと感じていたんです。
― ご家族から離れてご自身の力でというお気持ちが、お二人とも強かった。
白石さん:これは今もそうなのですが、ヘルパーさんや介助者と一緒なら、できることはあるのだと思います。当時から、働いてみたいという気持ちはありましたが、なかなかたどり着けなかったですね。結局、その後8年間は通所施設に通って、今に至ります。その間も「どんな仕事があるんだろう?」と散々考えてはきましたが、具体的なものには結びつかなくて。「なかなかうまくいかないね」と、母と二人で話してきたのです。
― 長いあいだ、葛藤があったのですね。
白石さん:でも、そういう経験を通じて「自分の願いはなかなか通らない。なら、自分から言わなきゃいけない」と思うようになりました。最近、通っていた小児科も卒業することになり、民間の通所施設にも通うことに決めました。環境がこれから大きく変わっていくと思います。母は「涼は新しい環境の受け入れは早いほうだ」とよく言いますが、自分はいつも、初めは不安なんです。
― 自分の意志をちゃんと示していくことが大事だと発見されたのですね。なにか、不安を乗り越えるコツみたいなものはあるのでしょうか。
白石さん:新しい人と出会ったり、新しい環境に行ったりした時には、たとえ時間がかかったとしても、自分からコミュニケーションをとって、早く自分を知ってもらうことです。そうするしかないと、自分の心に、一生懸命言い聞かせるんです。
― 白石さんが見つけられた、自分なりの人との関わり方。これから訪れる不安も、なんだって乗り越えていけそうな気がしてきます。

まだ具体的にイメージはできないけれど、夢が膨らみました。
― 白石さんにとって「働く」とはどんなイメージですか?
白石さん:うちは父が働いてくれていますが、僕も働くことによって家計の足しになれるといいなと思います。お給料で買いたいものも、たくさんあります。自分の好きなものを、誰にも文句なく好きなように買ってみたい。たとえば車があったら、ヘルパーさんに運転してもらって、好きなところに連れて行ってもらったり。計画は膨らんでいるんです。
― 具体的な目標があるのですね。今回、東京都の「デジタル技術でつなぐ重度障害者の就労支援プラットフォーム事業」の話を聞いた時には、どんなお気持ちでしたか?
白石さん:感謝しかないですね。僕はどちらかというと受け身なので、こういうきっかけがなければ、自分から新しい一歩を踏み出すことはなかなかできなかったと思う。この事業のおかげで、「もしかしたら仕事ができるかもしれない」「自分にあった機器が使えるかもしれない」と、夢が膨らむのを感じています。
― 具体的に、どのようなデジタル機器を試されていくのですか?
白石さん:入力補助装置のスイッチや、視線入力で操作ができる機器は、自分にも合うのではないかと思っています。専門家の方が見てくれると「指がちゃんと動くからスイッチは使えそうだ」「眉毛や耳も動くから、ここにも設定できる」と、教えてくれるんですよ。動かせる体の部位にマイクロスイッチを設定すれば、同時に操作したり、連打したりもできるみたいです。先日、iPadとパソコンで視線入力を試してみたのですが、iPadの方が画面サイズがコンパクトで、操作しやすかったです。
― 白石さんができることから、可能性が広がりますね。
白石さん:茗荷谷にたくさんの専門的な機器を取り扱った東京都障害者IT地域支援センターがあると聞いたので、今度実際に行ってみて、色々な機材を試してみたいと思います。

きっと、僕にできることがあると信じて。
― 普段の生活や通所施設などに通われている中で、コミュニケーションを取る際に工夫されていることはありますか?
白石さん:声が出にくい時もあるので、その時はもう全部、顔と体で伝えますね。苦しい時は特定の顔をするし、大丈夫な時は「オッケー」って顔をする。ダメな時は眉毛とか口を動かして「違う、違う」と。姿勢や呼吸器を直してもらう際も、全部目で訴えますし、寝る時は口笛で家族を呼んだりもします。僕なりのコミュニケーション方法ですが、まわりの人が僕の意思を理解してくれるために役立っているのかなと思います。
― ご自身の意志を伝えるための手段をたくさん見つけてこられたのですね。将来的に「こんな仕事をしてみたい」というイメージはありますか?
白石さん:まだ具体的にはイメージできていないのですが、文章を書くのは苦手なんです。でも、たとえば数字を写したりする作業はできるし、計算などの方が好きだから、そういう仕事のほうが向いてるのかな。
― お母様と仕事についてお話をされることもあるのですか。
白石さん:母とも冗談も含めて話すことがあります。「街中で交通量をカウントする仕事なら、指が動けばできるんじゃない?一緒にやろうか」とか「介護が必要な方の話し相手」とか。昔、認知症を抱えた叔母の相手をしていた時、同じ話を何回も繰り返しても「それはもう聞いた」と言わずに、うんうんって聞いていた経験があって。そういう優しさや忍耐力はあるみたいです(笑)。
― 白石さんの素敵なところをお聞きできた気がします。最後に、白石さんがこれから挑戦していきたいことについて教えていただけますか?
白石さん:自分の意思は、きちんと周りの人に伝えていきたいと思っています。困っていることは、自分で言う。これは昔から母が「いつまでも家族はいないから、自分のことは自分で伝えなさい」と言ってくれた影響も大きいですね。この就労支援事業のおかげで、新しい「つながり」が少しずつできて、今まで遠い存在だった仕事に対してもイメージができるようになってきました。「何ができるのか、試してみたい」と、今、すごく楽しみなんです。僕の挑戦が、同じような状況にいる人たちや、僕たちを支えてくれる企業や支援機関の方々にとって、少しでも希望や参考になれば嬉しいです。

編集後記
これまでの人生で白石さんの中に培われた「自分の意思は自分で伝える」という決意。平坦ではない道のりの中で、自分なりの工夫で状況を動かそうとする白石さんの姿は、とてもたくましく思えました。現時点ではまだ就労というゴールには到達していませんが、デジタル技術との出会いが、白石さんにとって新たな「きっかけ」を生み出しているはずです。ご自身に合った方法を探る白石さんは、未来に向けて確かな期待を抱かれている様子でした。少しずつですが、この挑戦が、いつか彼自身の「働く」を現実のものとして、さらに多くの人々の希望へと繋がっていくことを願っています。(重度障害者就労サポート事業スタッフ)