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岩崎 恵介さん キービジュアル

今日を大事に生きる。その中に「働く」も含まれる。

東京都八王子市在住 / 岩崎 恵介さん

2025.08.21

ご本人の就労事例

INTRODUCTION

重度障害があっても、自分の力で働いていこうと前を向く人たちがいます。これまでの人生や、今感じている「仕事」への率直な思い、そしてデジタル技術の活用がどのように彼らの未来を拓くのか。インタビューを通じて、一人ひとりの「働く」の姿に迫ります。

今回のインタビューの主役は、30代で脊髄小脳変性症(身体障害1種2級)を発症しながらも、これまでのキャリアで培った人生観を大切に、現在も仕事をしながら社会とつながり続ける岩崎恵介さんです。

順風満帆な人生でした。突然の病で、周囲が変わってしまうまでは。

― 岩崎さん、本日はありがとうございます。まずは岩崎さんがこれまでどんなキャリアを歩まれてきたのかについて、聞かせてもらえますか?

岩崎さん:都内の大学を卒業後、大手人材総合サービス企業に新卒で入社しました。その後もマスコミ業界向け、IT・ウェブ向けの人材紹介会社などを経て、有料職業紹介事業の専門性を追求してきました。自分で言うのも恐縮ですが、仕事はできた方だと自負していますし、転職先に困ったことは一度もありませんでした。30代前半でベンチャー企業に心血を注ぎ、管理職も期待されていましたし、プライベートでも結婚を考えている交際相手がいて、趣味のスポーツも楽しんでいました。すべてが順風満帆な人生だったのです。

― お仕事をする中で、大事にされてきたことはありますか?

岩崎さん:今思い返すと、若手時代から、仕事の成果だけでなく、社内でフットサルの部活動を立ち上げたり、合コンの幹事を務めたりと、人をまとめたり、楽しい場を創り出したりすることを大切にしていました。そうした姿勢や、人から頼まれてもないのに組織に奉仕しようとするみたいなところが、たくさんの人との信頼関係を築けたことにつながったのかなと思います。

― ご自身の病気には、いつ頃気づかれたのでしょうか。

岩崎さん:はい。2015年7月、34歳の時に脊髄小脳変性症と診断されました。手足の震えや、ろれつが回らない、平衡感覚が失われるといった症状が少しずつ進んでいきました。実は、母親も同じ病気を持っていたので、もしかすると……という気持ちはあったのです。でもやはりショックは大きかったですね。体が思うように動かなくなることへの葛藤もありました。

― 病気の発症は、岩崎さんのキャリアにどのような影響を与えましたか?

岩崎さん:確定診断後も、何社か転職活動を続けました。病気を伝えた上で事業部長待遇で転職した会社もあれば、既存の営業社員が外回りに専念できるようにと内勤営業職に従事した会社もありました。しかし、会社の経営状況の変化や体調の悪化により、どれも短期間で退職することになってしまいました。自信を喪失する日々が続きましたね。

岩崎 恵介さんの画像1枚目

もう無理だと思った。それでも変わらない繋がりがありました。

― 病状が進行する中で、転職活動は困難だったと想像します。

岩崎さん:ええ。転職情報サイトに経歴を登録すると、企業からアプローチがあるのです。あまりに連絡が多いので、プロフィールに病名を記載したのですが、それでも連絡は途絶えませんでした。喜び勇んで面接に行くと、面接官が病気のことを不思議がり、病名を伝えると大抵の反応は顔面蒼白で同情される。そして後日、不合格のメールが届く、その繰り返しでした。

― 履歴書に病名を記載しているにもかかわらず、配慮のない質問があったり、不合格になったりするのは、心が潰れる思いでしょうね。

岩崎さん:「病気をポジティブに捉えられますか?」といった質問が本当に多くて。これがもし、克服した病気だったらポジティブに捉えられることもあると思いますが、進行性の難病で、毎日症状と向き合っている人に、そんな質問をするのかと思っていました。履歴書に病名を記載しているのだから、少しくらいは事前に調べてきてほしいというのが本音でしたね。かといって、採用面接で病気を明かさないと経歴に整合性が取れないし、明かすと確実に不合格になる。これはもう「無理ゲー」なのではないかと。

― そのような状況の中で、岩崎さんの心の支えになったのは何だったのでしょう。

岩崎さん:はい。病気や仕事だけでなく、当時結婚を考えていた交際相手のご両親から、病気を理由に結婚を猛反対され、別れることになりました。自分の存在価値が薄れていくように感じ、しばらく危機に瀕している気分でした。でも、そんなある日、ブログに愚痴をこぼしたら、友人がSNSで「何もないことはないよ、私たちがいるじゃないか」と連絡をくれたのです。当たり前のことなのですが、その言葉にとても勇気づけられました。

岩崎 恵介さんの画像2枚目

未来はわからないから、今日一日を大事に生きる。

― これまでの岩崎さんが大事にされてきた繋がり、ご友人の存在が、今度は岩崎さんを支えてくださったのですね。その後、転機はありましたか?

岩崎さん:友人の勧めもあり、再びスポーツに挑戦しました。発病前から取り組んでいた登山やジョギングを仲間たちと再開し、2017年には東京マラソンも完走しました。私自身がそういった日常を送れていること、マラソンに挑戦する姿を病気と闘う仲間たちに見てもらうことで、彼らに勇気を与えたいという思いがありました。仕事においても、その「人とのつながり」が新たな機会を私にくれました。同じ症状を持った患者会の事務局勤務を任されたり、以前の職場の上司が立ち上げた会社を手伝ったりと、知人からの紹介で、少しずつ社会との接点が戻ってきたのです。コロナ禍で経験者はフルフレックス・フルリモート勤務が可能という会社もあり、通勤の不安を抱えていた私にはありがたかったです。

― やはり、人がきっかけや繋がりをくれる。岩崎さんらしいです。

岩崎さん:ええ。しかし、フルリモートだからといって全てが順調だったわけではありません。人材紹介の仕事は、リモート形式だと求職者との関係性構築が難しく、迅速なレスポンスが求められる部分もありましたから、病状が進行する中で、成果を出すことが難しくなり、その雇用契約も終了することになってしまいました。その後は実家に戻り、失業手当をもらいながら、私の経験を伝える講演活動など、この体でできることを続けていました。最近は、とある団体のライティングの仕事や経理業務をリモートで担当しています。実は、学生時代にスペイン語を習っていて、現地で記事を書くスポーツライターになりたいと思っていたこともあったんです。なので、ちょっとした冊子の記事を書いたりするのは、私にとって楽しい作業なのです。

― なにか、キャリアが一周回ったような、不思議な縁を感じます。たくさんの経験を積み重ねてこられた岩崎さんの、今後の目標について聞かせてもらえますか?

岩崎さん:例えば普通の人だったら、三年前にこれだけできたから、三年後は右肩上がりでここにいくぞ、というふうに思えるはずだと思うんです。けれど病気が進行する中で、できないことが増えていくのは事実です。だから私は『今日一日を大事に生きる』という思いが一番にあります。講演活動もその一つの形だと思っています。私の経験を通じて、病気や障害を抱える人たちだけでなく、それを支える家族や、社会全体に何かを伝えることができれば、それが私の役割だと感じています。

― 最後に、このサイトをご覧の方々へのメッセージをお願いします。

岩崎さん:日本は労働力人口が不足していると言われています。海外からの移民政策などで対応しようとしていますが、私たち難病患者の中にも、社会で価値を発揮できる人はたくさんいるはずです。だから、私と同じ境遇の皆さんには、どうかできることにどんどん挑戦していってほしいと強く願っています。そして、医療機関や支援機関の皆さんには、患者のできること、強みに着目して、無理なく活躍できる仕事を検討してほしい。医療・保健・福祉・就労分野が連携し、長期的な視点で患者の就労支援ニーズに対応していくことが大切だと考えています。

岩崎 恵介さんの画像3枚目

編集後記

岩崎さんのキャリア、そして病気との向き合い方を伺い、たとえひとつの仕事が終わってしまっても、それまでに築いた人との繋がりをきっかけに、「今できること」を見つけ、社会との接点を持ち続けている姿そのものが、岩崎さんらしさなのだと感じました。そして、その人との繋がりがまた「どん底だった自分を奮い立たせ、前を向かせてくれたのだ」と語る岩崎さんの姿も印象的でした。「今日一日を大事に生きる」。仕事もまた、人生の中の大切な1日を色濃く彩ってくれるものなのだと思います。(重度障害者就労サポート事業スタッフ)